「不可逆な卵」

卵が割れたら元に戻らない現状こそが今私達が感じ得る中での世界であり、不可逆こそが生を感じている証なのかもしれません。

トンボは後ろに戻れず、前にしか飛ぶ事が出来ないため、不退転という縁起物の象徴として絵の題材に使われることがあります。
私達も今の段階では過去に戻る事が出来ないため、不退転という考え方は特別ではなく、ごく普通に捉える事が出来そうです。

つまり存在していることと、卵が割れ床に散乱している状態は繋がっており、それこそが人生なのではないのか、と考えています。
悩みや考えは呼吸をするだけでも、卵が割れるかのように散乱しているため、皆何かしら抱えているのかもしれません。(周囲の人の捉え方や、自分自身の捉え方次第で見え方は変わるとは思いますが)

だからこそ、波風立たず、波紋出来ず、卵も割れず、悩みも生まれずな、エントロピー全否定的生き方の人はいない(いたら興味があるのでお話聞いてみたいです)のかと感じます。

即身仏や、千日回峰行のように、生命の波紋を極限まで無くし、平坦に平滑に、形作る周囲を無くす先に、また何かあるのかもしれませんが、そうではない私達は大いに悩めることそのものを邪険にしないということも少しは大事になってくるのかもしれませんね。

だからこそ合理的ではない程の執念が当然のように凝縮された作品(無駄や非合理、とっかかり)に出会った時、生命の業を感じ、私は心を動かされるのかもしれません。
(芸術は爆発だ!の言葉にエントロピーの凝縮体そのものが詰まっていて、なるほどなぁと思ってしまいました。言葉にすると分かり易すぎる気もしますが、、追体験の作用も、未知の体験も、既にしてあり まだしてないからこその爆発で、瞬間、広がり、収束は問わず全てということなのでしょう)

profile

安藤圭汰

1992年 神奈川県川崎市生まれ
2013年 第3回ドローイングとは何か「大賞」ギャルリー志門(東京)
2017年 絹谷幸二賞推薦
2019年 artist in residents&solo exhibition sangkring art space&lorong sangkring indonesia yogyakarta

profile/安藤圭汰

1992年 神奈川県川崎市生まれ
2013年 第3回ドローイングとは何か「大賞」ギャルリー志門(東京)
2017年 絹谷幸二賞推薦
2019年 artist in residents&solo exhibition sangkring art space&lorong sangkring indonesia yogyakarta