筑豊のお宝、高取焼のすごさ。
私たちが住む筑豊は、高取焼(たかとりやき)発祥の地です。
高取焼は、大河ドラマの主人公でもある黒田官兵衛(如水)を藩祖とする福岡藩御用達(ごようたし)の焼きものですが、その最初の窯が、直方市福知山 山麓にあったです。
中でも、2つめに築かれた「内ヶ磯窯(うちがそがま)」という窯は、江戸時代初期 国内最大の規模で、なおかつ最先端の技術を誇った、とてつもない窯でした。
その内ヶ磯築窯に、高取城初代城主 母里太兵衛も深く係わり重要な役割を果たしていたようです。
そして、この窯で焼かれた茶碗や花入れの多くは当時、武士たちの間で大流行した「茶の湯」の席で用いられましたが、その美しさと技術の高さはまさに「お宝もの」で、あの有名な画家ピカソやミロが絶賛したほどのものでした。
中でもすごいのは、この内ヶ磯窯の跡地から、当時日本一の茶匠として知られ、漫画『へうげもの』の主人公でもある古田織部(ふるたおりべ)が流行させた「織部好み」と呼ばれる斬新なスタイルの焼きものや、黒田家のふるさとである岡山県で焼かれた「備前焼」とよく似た焼きものが、たくさん出土している事実です。
なぜなら、こうした焼きものは、ふつうの職人ではとても焼けないような高い技術を必要とするのです。
しかしその後、古田織部という人はあまりに大きな影響力をもったため、徳川家から謀反の疑いをかけられて切腹することになり、また当の黒田家も同じように幕府ににらまれることになって、いろんな記録が抹消されているため、高取焼については間違った解説で伝えられていることも多く、いったいどんな人々がこれをつくったのか、どうして直方の山奥でこんなお宝をつくることができたのか、など、いまだに未解明の謎が多いのです。
古高取研究家 小山 亘
今回の企画は、近年高取焼に関するいろいろな謎が少しずつ解明されているなか、小山亘氏を中心として、高取焼の歴史の真実を、再制作及び発掘出土品をベースに追求してきた成果をもとに、名軍師といわれた官兵衛が、茶の湯をどのようにとらえて天下取りを構想し、黒田家の繁栄を願いながら戦国の世を生きぬき、戦略をたててきたのか、又、キリシタン大名としての人間掌握術や経済政策など、当時の武人らしからぬ現代人的な官兵衛の心意を、内ヶ磯窯の新事実から導き出し、筑豊からの桃山文化(焼きもの)の再発見・発信に繋げていきたいと思います。
□ 戦国武人、茶人命日シリーズ 「黒田官兵衛」
如水の「黒・白」好み
呈茶 -官兵衛の御旗-
料金:500円
AM 11:00~PM 16:00